国宝・世界文化遺産の
富岡製糸場に行って来ました!!
先日、休みを頂いて行って来ました群馬・猿ヶ京のキャンプの帰りに、せっかく群馬に来たのだからと、少し足を伸ばして、世界遺産の富岡製糸場に行って来ました!!
言わずと知れた世界遺産・富岡製糸場ですから、ググればいろんな方が、それはもう~詳しく書かれているので、ここで改めて書くこともありませんが、
やはり、国宝!そして世界遺産に登録された威厳・オーラは、ものすごく漂っておりました^^
横浜にも赤レンガ倉庫がありますし、東京駅もレンガ作りなので、意外とレンガ作りの建物は身近ですが・・
そのレンガにもいろんな積み方があることまでは知りませんでした。
富岡製糸場のレンガは、長いレンガと短いレンガを交互に並べる「フランス積み」。
優美に見える一方で、他の積み方に比べて耐震性は劣るようです。
ちなみに横浜の赤レンガ倉庫はオランダ積み。だそうです^^;
このレンガ作りの富岡製糸場と赤レンガ倉庫のように、実は、この富岡製糸場は横浜と色々な所で繋がっていることも、今回、富岡製糸場を見学させていただいて知りました。
一番の驚きは、よく行く本牧の三溪園。
その創設者である原三溪さんが、この富岡製糸場を所有・経営されていた時期があるということ。
写真は『富岡製糸場の展示室の資料』です
横浜三溪園の公式HPにも、そのことが記載されていました2014/06/21更新 祝!世界遺産登録。三溪園ゆかりの富岡製糸場が、世界の“宝”に。
また、富岡製糸場で作られた生糸は横浜に運ばれ、横浜港から世界に輸出されていました。
横浜の発展に大きく寄与した生糸の歴史・・なんか一気に富岡製糸場に興味が湧いてきましたよ(*^^*)
そんな父の横で、子供達も、ちょうど小学校の授業でシルクを勉強した様で、富岡製糸場も授業に出たようで興味津々!!
『生糸は資源に乏しい日本が自国内で生み出すことができる数少ない特産品で、その海外輸出で得た外貨で、富国強兵を目指す明治政府は欧米からの工業製品、特に軍艦などの軍需品を輸入しました。』日本を支えた建物なんだね~と、メモと写真を沢山とっている姿に親としても感無量(*^^*)
時間の許すかぎり、修復中の建物や、貴重な品々も沢山見学させて頂きました!
私が一番、感銘を受けたのが、この製糸場を「売らない、貸さない、壊さない」の3原則を掲げ守った片倉工業さんの存在。
「市民ですら製糸場に関心を持たなかった時代」の昭和63年に有志で勉強会を立ち上げ、その後NPO法人「富岡製糸場を愛する会」に発展させた理事長の高橋伸二さん。「売らない・貸さない・壊さない」を社訓に、製糸場が操業を中止した昭和62年から富岡市へ寄贈する平成17年までひたすら守り続けてきた片倉工業さんの功績はすごい!!
片倉工業さんは、富岡市に寄贈するまでの18年間、3人の職員を置いて保存に努めたそうで、
中でも火事には細心の注意を払い、見学者には、たばこを一切吸わせなかったとか。
保存コストは年間1億円に上ったが「売らない、貸さない」の方針で、やはり、いろんな企業・テーマパークやスーパーマーケット等が、この富岡製糸場を使ってのさまざまな提案を寄せましたが、一貫して富岡製糸場を守り通しました。
その『絶対に保存する』という信念が、国宝・世界遺産に繋がったんです。
竹内社長は「日本の歴史を伝える貴重な史跡を残すことができたことを心から誇りに思う」と話しています(*^^*)
片倉工業と富岡製糸場が歩んだ歴史 – 片倉工業株式会社
本当に良い勉強になりました♪
ぜひ、皆さんも世界遺産・富岡製糸場を訪れてみてはいかがですか!?
世界遺産・国宝 富岡製糸場公式HP
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